ファミコンの思い出その1【新登場】

こんにちは、こんばんは、コケガエルです。

今回は、説明不要(?)の歴史的大ヒットマシン。1983年7月15日発売、任天堂のファミリーコンピュータ(以下ファミコン)の思い出を、ほろ酔いで語らせて下さい。

ゆっくり飲みながら、ファミコンとの出会いを書いてみますね。
えーと、どうしましょ。同世代の方にむけて「でしたよねー」って感じか、当時を知らない人が読んでも雰囲気が分かるようにするか…

うーん。酔った頭に任せてみます。ではお付き合いください。

…………ドンキーコン…グ?

時は中1のある日、場所は我がパレスである某農協系デパート。補導員(見回りの教師)を恐れぬ私は、いつもの様に4Fのゲームコーナーで自分の部屋のようにくつろいでいました。
小腹が空いたので、これまたいつもの様に3Fのオモチャ売り場へ降りて駄菓子を物色。カセットビジョン(エポック社)とアルカディア(バンダイ)の試遊台を油と粉で汚していたその時、先日までは無かった良く知るメーカーの見慣れぬゲーム機のチラシが目に入ります。

………ドンキーコン…グ?…マリオブラ…ズ?(思考停止)
…………!!!!!!!!(再始動)

ホントに驚きました。私がアメリカ人なら「No way!  Are you kidding me?」とか間違いなく言っちゃうレベルで。
『ドンキーコング(+Jr.)』も『ポパイ』も『マリオブラザーズ』もアーケードで馬鹿みたいにプレイした(している)タイトルです。それがお家で100円入れなくても無限に遊べちゃう!?そんな夢みたいな事が…まさに青天の霹靂!不意打ち!洞窟の生き埋め!!空が落ちてきたみたい!?

 当時、家庭で人気アーケードの移植が遊べたのって…PC-8001等のマイコンで、個人ユーザーが移植した『インベーダー』や『ギャラクシアン』、『ペンゴ』や『スクランブル』等がありましたが、ほとんどが非公認。同じ年(1983)にやっと我らが(?)電波新聞社が公認の『パックマン』『ギャラクシアン』『ディグダグ』を立て続けに発売します。しかし、個人の勝手移植はゲーム性が再現されていても画面が今ひとつ、電波新聞社の移植は雑誌広告では綺麗な画面でも、実際の動きはアーケードのそれとは程遠いものでした。
そして、そんな時のファミコン発売です。ソフトの第1弾として『ドンキーコング』『ドンキーコングJr.』『ポパイ』の3本がありましたが、どれも素晴らしい出来でした。アーケードさながらの表現力を家庭で楽しめるのだから、私のようなゲーセン小僧にはたまらないモノがありました。

ネゴシエーション

興奮状態のまま家にスっ飛んで帰り、母親の説得開始です。「これまで一体いくらゲーム機にお金を入れただろう」「これからは、もうゲーム機に100円玉を入れることは無くなるかもしれない」「そう。ファミコンがあればね」こんな感じで伝えたかったのだが、実際には中1とは思えぬほどの見苦しさで交渉(懇願)と説得(駄々)を繰り返しただけでした。

子供にはよくある事ですが、壊れたレコードのように購入をせがみ、終いには脅迫めいた事を口走り始める始末です。(ウチの小3のチビもよくやります)
しつこさも度が過ぎたのでしょうね。完全に逆効果。母親を『私の目の黒いうちは絶対に買わぬ』という心境にまでさせてしまいました。そんな母の揺るぎない意思を感じたところで、交渉失敗を自覚。そして撤退。
運動会で生きてるワニ(10cm程)を買ってくれと頼んだ時よりも強い拒絶でした(本当)

私の通う小学校の運動会では、縁日の様にテキヤの『くじ』『綿あめ』『アメリカンドック』『型抜き』『ヨーヨーすくい』などがずらっと並び、小6の時に生きたワニが1,500円(だったかなぁ?)で売られていた。夢じゃないよ。

俺にこそふさわしい

発売当初、私の周囲でファミコンを購入できたのは2人だったかな?まだまだ家庭用コンソールというモノが一般に認知される前でしたから。私のようなゲーム小僧からの視線は熱いものがありましたが、親の理解がまだ追いつかない時代です。徐々に人気となり発売1年で300万台を売りますが、ロンチ当初のセールスはゆっくりしたものでした。

そんな立ち上がりですから、数少ない所有者の家がゲーム小僧のたまり場になるのは必然ですよね?私も頻繁にお邪魔してはアーケードで培われたテクニックを発揮。「コケ君、そろそろお家の人が心配してるよ?」「〇〇~もうご飯の時間よ~」という言葉を、友人の母から引き出す事に成功。大いに疎まれました。

そして8月には『五目並べ』『麻雀』、9月には本命『マリオブラザーズ』が発売されると、友人宅で遊んでいた仲間からも、徐々に購入する者が増えてゆき、気が付けば私は未購入の少数派になっていました。「っくしょう!ファミコンは俺にこそ相応しいのに!!」…まぁこれは冗談ですが、近い事は思っていました。
…?いえいえヤバい奴ではありません。ちょっと説明させてください。

この頃、ゲームが好きな友人は沢山おりましたが、ゲームセンターに足を運ぶ友人はあまり多くはいませんでした。何故なら多くの(殆んどの?)小中学校では『ゲームセンター禁止』だったから。バレると当然怒られます。場合によっては親に連絡が行きます。
ゲームは好きだけど、そんなリスクを負ってまでゲーセンに行こうとするガッツのある奴は少数でした。マリオブラザーズはだれが遊んでも面白いです。けど『ゲーセンでリスクを負って遊んだ、あの憧れのマリオブラザーズ』って奴がいないんです…。
ファミコンのマリオブラザーズが初マリオ?ハッ。ちゃんちゃら可笑しい。そんなマリオが嬉しいかい?ボクちゃん。俺はなぁマリオやりたさに何度も危ない目に!…おっといけない。ますますおかしな人になってる様な気が?
とにかく、一番多く先生に説教され、一番マリオに100円玉を入れ、一番マリオを愛してる僕が、なぜファミコンを持っていないのか。それが納得できなかったんです。
うん。子供らしくてとても可愛い。

念願かなって

私がファミコンを手にできたのは、1年後くらいでしょうか。年上の従兄が「もう飽きたからあげる」とプレゼントしてくれました。嬉しかったなー。それまではずっと友人宅か、数日だけ借りるしかありませんでしたから。(それと故障したのをもらって修理したりこともありました。それはまた別の機会に書きたいと思います)

そうそう。セガからもファミコン発売と同日に『SC-3000』『SC-1000』というゲーム機が発売されました。しかしこちらは性能も知名度も売り上げも、ファミコンとは全く比較になりませんでしたねぇ。そして1985年10月20日にファミコンと同等(一部上回る)性能の『セガ・マークIII』を発売しましたが、任天堂は約1カ月前の9月13日に、あの『スーパーマリオブラザーズ』を発売しています。ははは。こりゃひどい。
(注:ディスってないよ。私はセガ派で、後にマークIIIユーザーになるから)

『スーパーマリオブラザーズ』の発売で『日本でファミコンを知らない人はいないんじゃ?』ってくらいの大ブームが起こります。海外でも売れに売れ、世界4000万本の大ヒットですよ。スーパーマリオで任天堂は世界のNintendoになりました。
おっと、これ以上の説明は要りませんよね?皆の良く知る任天堂ですから。

だらだらと書いてしまいましたが、どれだけファミコンが衝撃的だったか伝えることができたかなぁ…。私のような中年はファミコンについての思い出は尽きませんので、また別の話題を書きたいと思います。

文章は苦手ですが、ゲームについて語ることは面白いですね。
どうぞまたお付き合いくださいね。

メールアドレスとか必要ないので、気軽にコメントもらえると嬉しいです。

これ書いてたら、小学校の朝の会で「昨日コケくんがゲームセンターにいるのを見ました」とチクった女子の事を思い出しました。どれだけ私の事が嫌いだったんだか訊いてみたい。

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コメント

  1. あち より:

    マークⅢは良いソフトがいっぱいあったね〜
    出る数は少なかったけど、出るゲームは、
    みんな面白かったよね

    • コケガエル より:

      いっぱいあったね。
      質は任天堂には適わなくても、記憶に残る良ゲーが沢山ありましたね。
      マークⅢはファンタジーゾーンとスペハリを遊びたくて買ったんだっけかな?
      アウトラン、北斗の拳、ファンタシースター…どれも面白かった!

      けどアフターバーナーだけはトラウマですワ

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