ドンキーコングとスケート少年団

こんにちは、こんばんは、コケガエルです。
今回は初代ドンキーコング(AC)について、思い出を少し。

ドンキーコングは、1981年に任天堂から発売。僕は小学5年生でした。
ポップな筐体、軽快な音楽、スリリングなジャンプアクション。なによりもクリアする度に構成が変わるステージが衝撃的で、あっという間にゲーム少年達の話題の中心となりました。
とにかく人気で常に誰かがプレイし、ギャラリーが付いていたのを思い出します。ま、僕がそのギャラリーの一人なんですけどね。

ワープなんてねーよ!?

当時遊んでいたのは、ワープが出来る通称“TRYバージョン”です。
初めてワープを見た時…あなたはどうでした?僕はもう“おったまげ”ちゃいましたね。ワープを知る前に、ゲーム仲間の一人から「ワープできるんだって」と聞かされた時は「うっそ?マジで?」という感じに反応しましたが、内心は「アホか!あるわけねーだろ!」です。実際に見るまでは、誰でもそう思いますよね?

そして後日、詳細なワープ手順を入手した仲間と共に、いざ検証。期待せずにヤレヤレと最初の梯子を上り、レバーを右へチョンと入れ、一段目へ向け死のダイブ…が、当然のように失敗。はいはい、やはりワープなんぞあるわけが無いのです。ミスミス貴重な1機を、自分の手でわざと失ったのですから最悪の気分です。ガセネタに少しでも期待した自分が恥ずかしい。ちょうどサバチャン誘発打法を試してみた位の恥ずかしさです。けっ。

僕は少ない小遣いを無駄にするのが嫌で、直ぐに検証を諦めました。当然ですよね?しかし次に仲間がチャレンジすると…!!!!1段目の床を通り抜け、一瞬にして1面クリアです。もう超超超びっくりで、顎が地面まで落ちるほどの衝撃と感動、そして謎の大爆笑です。頭だけ画面に残ったマリオの顔は、今でも忘れられません。(これね↓)

ほんとドンキーコングは名作ですよね。少ない小遣いの内、いくら使ったのか分かりません。楽しすぎて、馬鹿なこともしました。そう、記事タイトルにもある『スケート少年団』です。

背徳感と罪悪感と劣等感と

僕は母の薦めで、スケート少年団というものに入団しており、週に何度かスピードスケートを習いに通っておりました。バス賃は片道90円。往復で180円です。…自分で20円出せば、楽しいドンキーコングが2回遊べる計算です(笑)

裏地がボア加工された少年団おそろいのジャージを着て練習に行くのですが、僕はバスには乗りません。スケートバッグにぎゅうぎゅうに詰めた私服に、デパートのトイレで着替えます。そして、他の団員が寒い夜のスケートリンクで練習に励んでいる時に、僕は暖かく明るいデパートの中で、ドンキーコングをプレイしているのです。しかも母に貰ったバス賃で
…中々のクズっぷりですね。小学5年生…背徳感がある種の快楽と感じる年頃だったのかもしれません。

デパートが閉店するのは18時半(違うかも)で、練習が終わり帰宅する時間が大体19時半。僕は冬の寒空の下、少々の罪悪感に苛まれながら約1時間をつぶし、ジャージを雪まみれに(偽装)して家路に着くのです。我ながら情けなくもしょーもないです。
もし、自分の息子がソロバン教室さぼって、ゲームセンターで遊んでいたら烈火のごとく怒鳴り散らすでしょうね。はぁ…自分のしてきたことに比べたら、息子のイタズラなんぞ、大抵は許される事だと思えてきました。

自業自得。因果応報。悪行の酬いというものは、ちゃんと下るようになっています。
周囲のスケートのレベルがドンドン上がる中、怠けまくっている僕。たまに練習に参加しても、皆について行けるはずもありません。同学年は勿論、下級生にもついていけない体たらくですよ。恥ずかしくてますます練習に足が向かなくなり、逃げるように退団しました。結果、スケートの下手くそな元スケート少年団員(笑)の称号を獲得します。その時の心のトゲは学校でのスケートの授業がなくなる中学卒業まで、冬になるとチクチクと僕の胸を刺しました。

楽しいのはドンキーコングを遊んでいる一時の事で、他は圧倒的に苦い経験となりましたね。馬鹿でした。しかし『継続は力』と『真面目に取り組む事の大事さ』を学びました。
入団当初はみな横並び。それが、ちょっとサボっている間に、みな選手の様に上手くなっていた現実に「自分もサボらなければ同じようになれていたのだろうか?」と猛省をしました。しかし同時に「サボらなければ、投げ出さなければ、皆と同じようにイケてたに違いない」と謎の自信と前向きな気持ちが生まれたのですから、中々のポジティヴさです。

親も周囲も勉学に対してそんなに熱心ではなかったので、その反省が勉強に活かされることはありませんでしたが、就職してからはその時々の職場で最大限にスキルの向上に努めました。負けないように、皆の足を引っ張らないように、そして仲間として認められるように…。そうそう、仲間内でモンハン(P2G)を遊んでいる時も、後れを取るまいと頑張りました。この時は最終の村クエもクリアし『モンスターハンター』の称号を得ました。えへん。

ん?なにか話の趣旨がズレたような…

名作です

書き始めは楽しい気持ちでキーを叩いていたのに、なにやら悲しい思い出話になってしまいましたね。ま、このブログのコンセプトが『おっさんゲーマーの赤裸々な昔ばなし』だからしょうがない。つられて悲しい気持ちになったらごめんなさいね。

けど、僕がクズだったってだけで、ドンキーコングが歴史的名作だって事実は変わりません。大げさ?いやいや、後にジャンプアクションと呼ばれる流れを創造した、偉大なタイトルですよドンキーコングは。研究家でもない僕が言っても説得力のカケラもないですが、たぶんそうです(笑)
障害物をかわし、穴を飛び越え、ハンマーをゲットなど…ジャンプボタンひとつに、多彩な目的をデザインしたその手腕。さすが任天堂の宮本茂さんです。今でこそワンアクションでいろいろ出来るなんてことは当たり前ですが、当時のゲームのなんと単純なことか。とにかくシューティングにしろ迷路系アクションにしろ、とかにかく動きが直線的で、加速度的なものを感じられるゲームはありませんでした。(それも良いところですけどね^^)
しかし、ドンキーコングの柔らかな動きや表現はどうでしょう。軽やかに放物線を描くマリオのジャンプ。樽が段差を落ちた時のバウンドや方向転換、敵の炎(ひのこ)の緩急のある自然な動きは、何か物理や敵の思考のようなものを感じませんか?

そしてゲーム性の違う4面構成!それまでのゲームって、基本1つの画面の繰り返しです。クリアすると徐々に難しくなっていくってモノがほとんどだったのです。それがあーた、クリアする度に画面がガラッと変わるのですから、ワクワクしないわけが無い。ストーリー性を感じるアーケードゲームというのも初めてだったかもしれませんね。

人気があったので、いくつものクローンやデッドコピーがありました。ホヤッ。

任天堂はドンキーコング以前から大好きなメーカーです。スペースフィーバー(1979)、シェリフ(1979)、スペースファイアバード(1980)、どれもかなり遊んだゲームです。スペースフィーバーは、亜流スペースインベーダーの中でもかなり出来の良いインベーダーゲームでしたねー。ハイスプリッターなる別バージョンもあり、僕の周囲では『分裂インベーダー』と呼ばれて愛されていました。UFOまでちっちゃくなって逃げるのがカワイイんス。
ユニバーサル(開発)/任天堂(販売)のスペースランチャー(1980)も大好きです。これ、ギャラクシーウォーズのパクリっぽいゲームなのですが、元のギャラクシーウォーズを作ったのがユニバーサルなんですよね。どういう経緯なんでしょうか。私、気になります。

ご存知の方がおりましたら、教えていただけると嬉しいです。
では今日はこのへんで。

 

コメント

  1. あち より:

    任天堂は今も昔も凄いすなぁー
    アーケードから家庭用に変わって今もトップを走っとるとわ・・・
    スプラ2も凄いようで…興味ないけどw

    • コケガエル より:

      コメントありがとうございます~
      今はなんとか頑張っていますが、Wiiの末期とWiiU時代の落丁っぷりは中々のものでしたけどね^^;
      今世代のトップは誰が見てもPS4でしょう!ドラクエ11もかなり面白いみたいですよ~