思い出のゲーセン その1【プレイシティ】

こんにちは、こんばんは、コケガエル(ほろ酔い)です。

子供の頃に大好きだったゲームセンターってあります?ありますよね。
ぼくも何軒もありますが、今回は特に大好きだった、そして一番思い出深い『プレイシティ』という今は無きゲームセンターについて語りたいと思います。

ちょっと長文になりそうな感じですが、どうかお付き合いくださいまし。

パックマン+帽子???

僕が中学2年生、学校の休み時間のことでした。友人Nが、新しく出来たゲーセンで『帽子をかぶったおかしなパックマンを見た』と言うのです。
「ほんとに~?」嘘をつく友人ではないのですが、突然の眉ツバ発言にニヤニヤがとまりません。だってねぇ…僕の大好きなナムコがそんな馬鹿なことをするわけがないじゃないですか。パックマンは、シンプルな美しさに価値があります。そのパックマンに帽子なんて…iPhoneに物理ボタンを10コ付けるようなもので、ナムコ好きなら誰だって悪い冗談だと思うハズです。

N:「じゃあ学校帰りに一緒に行こうぜ」
私:「え?お、おう」

…なぜ自分の首をしめるのか…しかしこの自信は…?
まさか、本当にそんなものがあるというのでしょうか?…いいや、ありはすまい。Nが嘘をついているとは思いたくありませんが、ナムコがどうかしちゃったとも思えません。こうなりゃ一緒に赴きハッキリさせるしかないのです。

そのゲームセンターの存在は、以前から知っていました。しかし、僕の生活圏からはちょっと離れている事に加えて、不良成分が強め(高校生)と聞き及んでいたので、なんとなく足が向かなかったのです。けどNと一緒なら心強いし、丁度いいやとなりました。
ちなみにゲームセンターへの出入りは、むろん校則で禁じられております。ましてや制服のままなんてもっての外。しかしNが言うには「新しく出来たばかりの上、学区からかなり離れているので、教師が見回りに来たという話はまだ聞いたことがない」との事。ほう。俄然行く気が加速します。

目指すゲームセンターの名は『プレイシティ』
放課後が待ち遠しくてたまらなかったのを覚えています。

こ、これは…!?

さて放課後になり、学校から直線距離にして約2km、徒歩だと2.5km近くは有るでしょうか。炎天下のヌルリとした空気のなか、プレイシティに向かって歩を進めます。くだらない会話を交わすうち、話題は自然と好きなあの娘の話に…と、そんな青春の1ページのようにはなりません。人気アイドルに興味も無く、思春期なぞどこへやらの非モテ系ゲーム馬鹿でしたから。これを読んでるお母さんいますか?息子さんが人気アイドルや、流行の音楽に興味がなかったら要注意ですよー。

おっと、僕のキモさはどうでもいいのです。30分ほど歩き、汗だくで到着。期待と不安に胸を膨らませつつ、引き戸をカラカラと開きます。薄暗い店内には学生服のお兄さんが5~6人おり、うち数人がこちらを見ます。一瞬カツアゲの不安がよぎりますが、すぐに視線を戻してくれました。ふぅ。Nを置き去りに逃げる心の準備が無駄になりホッとします。

先に入店したNが「コレコレ、早く」と嬉しそうに私を手招きしています。
ガビーン!マジであるのかよ!?僕はナムコの正気を疑いながら、曇りなき眼で画面をのぞき込むと…こ、これは!?
確かにパックマン…?確かに帽子をかぶっている??なにこの下品なフォント???………なんじゃーこりゃ!!!!

一瞬でナムコ製ではない事を確信させる色使い&ムカつくキャラクターデザイン。僕は大いに安堵しました。ナムコはナムコのままだし、Nも嘘つきではありません。
Nは宣言通りの存在を証明でき満足。僕もナムコとNの潔白が明らかになりハッピーです。Nを疑った僕だけが負けた格好ですが、そんな事は些細な事。今はこの喜びに感謝するだけです!

僕とNを笑顔にさせたタイトルは…『JR. PAC-MAN』(1983/midway)
そう、アメリカ産の糞デッドコピー品です。死ね!

midwayはナムコのライセンスを受けていますが、制作したのは学生で、ライセンスも後付けです。オリジナルより売れた実績にムカつくので割愛。興味があったら調べてみてください。

デッドコピー

「クレイジーコング」「ペンタ」「ムーンエイリアン」「ZIGZAG」「バトルス」等など…この頃はクローンやデッドコピーなんて言葉はまだ知りません。しかし、いけない大人が、いけない事をしているのは肌で感じていました。
そしてこの「JR. PAC-MAN」、オリジナルのクールなセンスを微塵も感じさせないキャラクターデザイン、無意味に広いスクロールするステージ…一見してクレイジーコングと同じ、いけないソレの匂いを放っています。

オリジナルのパックマンには、完成された『美』があります。“食べる”という動作そのものが記号化されたキャラクター、そのデザインセンス。情報としての優先度の低い迷路は最低限の明度、優先度の高いキャラクターやドットはヴィヴィッドに。漆黒のステージをカラフルなキャラクターが疾走する様のなんと美しいことか…。

一方JR.PAC-MAN。この作品からは、そんな美しさを一切感じる事はできません。
なんなのこれ?パックマンに目をつけたり帽子をかぶらせたり…デモに登場する嫁さんに至っては、マリリンモンローよろしく“セクシーぼくろ”が付いてる始末。うぎゃーー!!!冒涜です。原作への愛や敬意・理解がみじんも感じられません。大好きなナムコの名作を汚された怒りは確かにある…けど、あまりの出来の悪さに怒りが呆れに。呆れが笑いに(笑)

なんでしょうね、このダメなものが笑える感覚。画伯と言われる芸能人、浜ちゃん(ダウンタウン)や、草彅 剛(元SMAP)の描くイラストが面白いのと同じ感覚なのでしょうかね。「これは無いよー」みたいな?
よくわかりませんが、中学生の僕はツボにハマり、
Nと二人で「くだらねー♪」「つまんねー♪」とキャッキャとプレイしましたね。1ゲームだけ。

そんな清々しくも楽しい雰囲気もあって、初めて行ったプレイシティーは大満足。記憶違いがあるかもしれませんが、当時の設置タイトルを覚えている範囲で挙げますと…

ギャラガ(namco)
バーガータイム(DECO)
バーニン’ラバー(DECO)
プロサッカー(DECO)
ジョイフルロード(SNK)
ジッピーレース(JARECO)
ポールポジションII(namco)
リブルラブル(namco)
スターフォース(TEHKAN)
スパルタンX(IREM)
B-WING(DECO)
グロブダー(namco)
ドルアーガの塔(namco)
チャイニーズヒーロー(TAIYO SYSTEM)
他…

確かテーブル筐体が20台前後とレースゲーム1台が設置と記憶。この程度ですからね、店舗の広さは小さな商店ほどです。ゲームセンターになる前は何の店だったのか…今となっては気になりますが、当時は全く気にもしていませんでした。

自分の学区から離れた立地と薄暗い店内。なにか隠れ家的な雰囲気に、一発でメロメロです。そして、周辺の喫茶店・書店・食堂・弁当屋があることの心強さよ。なんと頼もしい。

そして、嬉しかった事がもうひとつ。
奥のカウンターに見覚えのある人物…それが岩川さん(仮名)でした。

岩川のじいさん(仮名)

たぶん8歳くらいの頃から知っているおじいさん。この時すでに60オーバーは間違いない。
初めて会ったのは『夏休みのラジオ体操』でスタンプを押していました。皆勤賞の鉛筆欲しさに、来なかった日のスタンプまで押してもらった(強引に押させた)記憶が懐かしい。そして、以前に記事を書いた『コインスナック』。そこでも店員をしていました。

僕は初めてプレイシティに行って以来、ジグマ(1店舗を職場とするパチ&スロプロ)のように入り浸るようになっており、日曜は開店から日が暮れるまで居座りました。この頃は“友達とゲーセンに行く”ということはありません。“ゲーセンに行けば友達がいる”って感じなので、ほぼ一人でプレイシティに通っておりました。なので、岩川さんと二人きりの時間も多く、何かについて談笑するということもありませんでしたが、ポツポツと話しかけてくれる人でした。

その人柄は真面目で短気。割とすぐに「コラ!」と怒っていましたね。しかし、キャラがそうさせるのか、じいさんだからなのか、よく僕より少し年上の仲間にイジられていました。
トイレ中(和式/大)のドアをわざと開けたり、昼食のカバンのパンを勝手に食べたりと…よくからかわれては「コラ!誰だ!」と大きな声が響いて、僕はその様子を見て笑っていました。
あ、僕はイタズラには参加した事は無かったし、イタズラする前なら止めていましたよ?けどイタズラをする方は、止められると余計にノリノリになっちゃうんですよね。これはイタズラっ子の性というかなんというか…困ったものです。

しかし、悪い事ばかりじゃないんです。イタズラもされていましたが、基本敵には仲良し。例えるなら教師と不良学生の関係がピッタリですかね。当たり前ですが、皆、凄んだり暴力をふるったりなんてことは絶対にしませんでしたし、普段は岩川さんにジュースを差し入れたりしていましたから。石川さんもそれを嬉しそうに受け取っていたことを思い出します。

僕は、そんな雰囲気のプレイシティと岩川さんが好きでした。

中3の夏休み

僕の親の職業は、観光関係…というのでしょうか、書き入れ時の夏休みの間は、全く家に帰ってきません。母親も一緒に。家に僕一人なので完全なるフリーダム。生活は荒れに荒れます。

まず朝起きると、ハムや卵を焼いて簡単に朝食を済ませます。プレイシティーは9時開店なのに、8時前には愛車のママチャリにまたがり家を出ます。朝の爽やかな空気の中、川縁の道を上流に約2.5kmほど進めばプレイシティです。僕は川面や漁船を眺めながら、2.5kmの道のりを1時間かけてゆっくりと走ります。なんて気持ちが良いのでしょうか。

そして9時少し前に到着し、隣の書店で立ち読みしつつ岩川さんの出勤を待ちます。ガラガラとシャッターを開ける音が、僕の荒れた一日のスタートを告げます。颯爽と入店し、バーニン’ラバーがロードのカウントダウンをしているなか、いつもの様に「おはようございます」と岩川さんに挨拶。岩川さんはニコリと笑います。

じいさん一人と、中学生が一人。いつも顔を合わせているので、とっくに話題などは尽きています。耳が遠いのでやり取りも面倒ですしね。しかし会話などなくとも、20台の筐体が発するデモの音が間を埋め、穏やかに時が流れます。…ゲームはプレイしません。

日中になり気温が高くなると入口を開放し、店の前に打ち水をします。暇なゲーセンですから、灰皿の交換とそんな事くらいしか仕事がありません。まあメインは、僕らのようなクソガキが、悪さや喧嘩をしないよう見張るのが仕事なんでしょうね。打ち水も灰皿の交換も、よく手伝ったりしていました。暇でしたしね。…まだゲームはプレイしません。

午後になると、知り合いがチラホラと集まってきます。そう、まるでサークル活動とか、そういったノリです。クソガキが集まり、金も使わずペチャクチャ・ダラダラ・ダベダベ…。ええ、やはりゲームはプレイしません。だって殆んどのゲームは飽きているのですから(笑)

夕方になると小さな集団が形成されています。そこにまた誰かの知り合いが来て「よろしくなー」と一緒に遊んだりと、そんな毎日を繰り返しているうちに、気が付くと学校の友達より、仲の良い多くの知り合いができていました。2歳下から高校生まで10人くらいでしたかね。

そして、その中高生の集団で毎日、プレイシティや街のゲームセンター、4~5軒の喫茶店でダラダラと青春を浪費します。喫茶店では仲間がタバコをプカプカふかし、千円札の入るテーブル筐体で、マージャンやエイトライン等の賭博ゲームを皆で遊びます。
目的も目標もない若人の、なんと見苦しい事か。今の時代だと直ぐに通報が入りそうなものですが、80年代は違います。子供が今よりずっと大人で、時代がおおらかでしたから。子供が少々やんちゃをしていても、大人は温かな目で見ていてくれていました。
もちろん犯罪はダメですけどね。タバコやマージャンゲーム程度でガタガタ言う大人はいません。中学生相手でも、ちゃんと換金してくれます。(違法です)

夜は、名も知らぬ新たな友の家で、お酒を飲んで深夜徘徊したり、家に帰るのが面倒で公園の滑り台で寝たりして。警察に見つかり怒られた事もありました。「学校に連絡する」と言われビビッたのも1日だけで、すぐにいつも通りです。精神的には今の10倍タフでしたね。

え?いつゲームするのかって?
普段はあまりプレイしません。小遣いに限りがありますし。
けど新作ゲームが入荷した時は、所持金の許す限り遊び倒します!仲間と代わる代わる!
それはもう、池のコイが餌に群がるようにです(笑)

この瞬間が楽しいんですよね、アーケードゲームは!
ランキング1位のイニシャルが誇らしいですからね。

特にアイツ。“Y“に勝ちたくて…

イニシャル『YYY』

誰が呼んだか、通称“Y“(ワイ)
街のあちこちの人気ゲームのランキングで、よく目にするイニシャル『YYY』。僕も頻繁に見ていたし、中々勝てない悔しさに、ぐぬぬとなっておりました。仲間内では「どんな奴なんだろう」とよく噂になっていました。
たまにYを1位から引きずり下ろす事に成功すると、まだ見ぬYの悔しがる顔を想像し浮かれる事もありましたが、数時間後にはまた抜き返されていたり。ぐぬぬ。

ある日、入荷したばかりの「メトロクロス」を遊んでいた時です。僕がハイスコアで満足の離席。しかし、次にプレイした男に抜かれます。刻んだイニシャルは「YYY」
「!」姿なきライバルの存在が、いま正に確認された瞬間です。声をかける切っ掛けとタイミングを掴めぬまま、とりあえず僕が再びプレイ。Yは僕のプレイを見ています。ハイスコアを更新し顔を上げた時、彼がニヤリと無言の笑顔。そしてゲームオーバー後「一緒にやろうゼ」とフレンドリーに声をかけてくれ、メトロクロスや他のゲームでも競い合いました。
すっかり意気投合です。

僕が以前からイニシャル『YYY』を気にしていた事。Yも、以前からちょいちょい自分のスコアを抜く奴は誰だろうと思っていた事(大体は僕)、色々な話で盛り上がりました。
Yは高校生で、茶髪(ブリーチ)にパーマのヤンキー風。整ったハーフのような顔立ちでした。僕は洒落っ気もなく、童貞がゲーマーの皮を着て歩いているような奴(そのままやないかーい)でしたから、普通なら会話する機会もないであろう変な組み合わせです。たかがゲーム、所詮ゲームですが、ゲームで認め合えたから仲良くなれたのです。嗚呼、ゲームって素晴らしい。(スポーツはもっと健康的で素晴らしいのでしょうけどね)

あ、なぜ『YYY』なの?と訊いた事がありました。
Yは「何でもいいんだけど、自分だと分かるもの。AAAは皆やるから、YYY。ただそれだけ」でした。カッコいいと思っていたし、カッコつけてると思っていたのに(笑)

高校生になり

入学式の日、「あー!」とか「えー?」とか数人の新たなクラスメイトに指を差されます。
???初めてみる顔に戸惑いますが、全員プレイシティで僕をよく見ていたという。話を聞くと「あまりにもよく見かけるのに、同じ学校じゃないから高校生だと思っていた」との事。なるほど納得。僕は彼らに全く印象は無かったのですが、彼らが僕を知っているということは、悪い仲間のせいで、僕まで悪目立ちしていたということですね。なんと迷惑な。
けどお陰で、入学早々同じ趣味の知り合いが数人できました。これもゲームのおかげです。

ただ高校生にもなると、友達付き合いが濃密になるというかなんというか、急に一人でプレイシティに行くことが極端になくなりました。相変わらずアーケードゲームはしていましたが、学校帰りに友人と街のゲーセンで遊ぶくらいで、この頃はファミコンやセガマークIII、パソコンゲームも楽しい時です。中学生までは、自由な小遣いのほとんどをゲーセンで使っていましたが、高校生になると、交際費とゲームソフト代の比率のほうが大きくなりました。

そして足を運ばなくなって1年くらいでしょうか、プレイシティ閉店の噂を耳にします。

良き思い出に感謝

プレイシティの名を出されなければ思い出すことも無かったくらい、既に自分には無関係の場所となっていたので、その時は寂しさを感じる事もありませんでした。しかし、大人になり結婚し、長男が中学生になった頃、ふと、岩川さんの事を思い出しました。
もう、亡くなっているであろう岩川さん。お金を使わなくても、いたずらされても、追い出さなかった岩川さん。もしかして定年退職した教育関係者だったんじゃ?と思いました。それで、ラジオ体操の場にいたり、ゲームセンターで子供達を見守ったりしていたのでは…?と。これは全くの推測です。けど、岩川さんがプレイシティにいてくれたから、ワイワイと楽しい場だったのではないかと思うと、感謝と、懐かしさで涙が出そうになります。

中2から高校入学まで、間違いなくゲームセンターが一番楽しかった時代です。それもプレイシティと岩川さんが居てこそ、あってこそだと思っています。感謝。

死後、もしあの世というものがあれば、ぜひ会って話をしたい人が5人ほどおります。
岩川さんもその一人です。

あと、仲良くなったYの家の前で、彼がでてくるのを待っていると、2階の窓から僕と同い年のかわいい妹が、肩の出た半分透けたエロい寝巻で、百円ライターを投げてよこしてくれたことがありました。寝ぼけていたんですね。痛いほどのフル勃起でした。
これもゲームが呼び寄せた幸運ですね。ー感謝。

もし記事が気に入っていただけたらシェアおねがいします

トップへ戻る