ディグダグと百姓一揆

「うっわ、出た!」「はやく行こうぜ!」
僕と仲間は、彼を見かけると必ず不愉快な気持ちになり、見つかる前にそそくさと別のゲーセンへ避難していた。

無法者“Mキン”

1982年当時(小6)の僕は、休日になると大抵は街をぶらついていて、街にある4か所のゲームセンターと、2か所のおもちゃ売り場を巡回していた。
アーケードゲームは楽しい。なけなしの小遣いでプレイするゲームは、いつも特別で格別。お金を出した者だけが体験できる至福のひと時。お金があれば、誰にでも与えられる権利であり、お金が無ければ遊べない。ゲーセンにおける絶対唯一のルール。

しかし、この理(ことわり)の外に住まう、無法者がいた。
同級生で名はY巻、通称Mキンと呼ばれ忌み嫌われてた。特に、僕と仲間から。

ツリ目で短髪、乱暴な雰囲気を持つ彼は、同級生がゲームをプレイしているのを見つけると「イッキ、イッキ(1機)」と強引にレバーを奪い、3機の内の1機を自分の物にしてしまう、とんでもないヤツだった。
僕がコインを入れたのなら、ゲームオーバーまでの間は“僕だけ”がプレイすることを保障されているハズである。なのにである、Mキンにそんな道理は通用しない。仲の良い友達同士だって「1機やらせて」なんて無神経で恥知らずなことは、普通言わない。ましてや、何が悲しくて友達でもない赤の他人に、それを許せるだろうか。僕にとっては只々「信じられない」という気持ちと、それを要求できる彼の傍若無人さに、得も言えない怒りを覚えた。

風貌も好感を持てるものではなかった。
いつも同じジャージを着ており、生活感の溢れすぎたそれは、失礼ながら家庭の様子を想像させた。もっとも、彼が自分のお金でゲームをプレイしているのを見た試しが無かったので、勝手に貧しいイメージを持ってしまっていたのかもしれない。けど彼の振る舞いは、そう想像してなお、同情よりは嫌悪させるに相応しかった。

僕は、彼がとにかく大嫌いで、視界に入る度・存在が頭をよぎる度に、ストレスを感じた。
ゲーセンに現れる彼を、楽園に紛れ込んだ悪魔のように思っていて、冗談ではなく「早くどこかへ引っ越してくれ」といつも願っていた…。(生まれも育ちも、この土地でしたが)

ディグダグするなら“T屋”

ディグダグは1982年3月に登場。
この頃に夢中でプレイしていたタイトルはギャラガ、ボスコニアン、ニューラリーX、スクランブル、ムーンパトロール、ジャンプバグ、ペンゴ、プーヤン、フェニックス、ノーティボーイ、ドンキーコングJr.などなど(※’82の3月時点ではなく’82頃ね)。中でもディグダグは一番好きで、一番プレイしていた。

ディグダグをプレイするなら、地元に3軒存在したデパートとコインスナックのうち、ダントツでT屋だった。なぜなら、人気のディグダグが2台並んで設置されていたから。(そして1台は通称“カチンコ”が使えたから…これ以上は言うまい)

さらにT屋は、フレンチドッグやフライドポテト・スピンなどのスナックや、ケースの中で噴水になっているジュースを販売していて、フレンチだけどアメリカーンな空気と自由(謎)を感じさせてくれた。他2件のデパートのゲームコーナーとは違い、1フロア全部がゲームコーナーだった事も、すこぶる居心地が良かった理由の一つだろう。
(※北海道の道東地方ではアメリカンドッグをフレンチドッグと呼びます)

そしてT屋はゲームコーナーのスタッフが全然いない。いや正しくは『幼児向けの乗物や親の対応にかかりっきりで、テーブル筐体に群がる“見込み収支の薄いクソガキ”なんぞ眼中に無いようだった』が正解。だからディグダグの永久パターンで2時間潰そうが、一日フル稼働したのにコインボックスに数百円しか入っていなかろうが、咎められたことがない。まさに僕のような貧乏小学生にはうってつけだった。

しかしだ、そんな心のオアシスであるT屋。Mキンとの遭遇率が一番高かったのが悩みの種。どれだけ楽しい気分でいても、彼が視界に入っただけで最悪の一日となってしまう。ゲームに使ったお金が、全部無駄になったと思えるくらいテンションが下がるので、T屋に行くにもそれなりの覚悟が必要とされた。

1プレイの価値と意味

この頃のゲームは1ゲーム=3機。キング&バルーンのような変化球も存在したが、大抵はこうだった。そう、3回のミスが許されて初めて1ゲームと言える。

バカバカしくもあり得ない例えで恐縮だが、陸上の十種競技。十種の内3種を他人に任せたら…。スキージャンプで、2回の内の1回を他人が飛んだらどうだろうか?…当然無効だ。
ゲームだってそう、何のためにスコアがあるのか。与えられた3機をフルに使い、いつだって自分と、そして他のプレイヤーと競っているのだ。Mキンが1機を受け持ち、それでハイスコアが出たところで何も嬉しくない。そんな記録に意味は無いのだから。

しかし、本当の問題はそこではない。1機奪われる事は、対価を支払った娯楽と挑戦を汚される事だ。浅ましくタカってくる彼には1機1/3プレイでも、僕にとっては1プレイ全てが、100円が台無しになる。この気持ちを理解してもらえるだろうか?
弁当の卵焼きを「もーらい♪」と摘まむような気軽さだったのだろうが、僕にとっては粘土で作った作品を、目の前で改変されるくらい、悲しく腹立たしい事だった。

GAMEの意味が彼には単なる“遊び”でも、僕には遊びであると同時に“勝負”であり“試合”だ。アーケードゲームはプレイ時間をお金で買っている。皆、無意せずともそれを理解していたから、ギャラリーも視界の外から邪魔にならぬように観戦していたのではなかろうか。そこにはプレイヤーに対する敬意と礼儀があったと思う。

だからこそ、他人のプレイを無下にするMキンに、激しい怒りを覚えたのだ。

変化

出会った頃の事をはっきりとは覚えてはいないが、最初は優しくすり寄って来たのだと思う。そして、一度それを許し「押せば断れない奴」と分かると、それ以降は強奪するようになったのではないかと記憶をたぐる。うん、恐らくそうだった。

僕と友人は2P(交代)プレイ時に、待っている方は常に周囲を見渡すのが習慣となってしまった。そしてMキンを見つけると「うわ」「出た」と別のゲームセンターに、そそくさと移動するのだ。しばらくは、そんな自分は“のび太”で、Mキンが“ジャイアン”のように思っていた。しかし、威圧的に振舞っても、実際には手を出してこないのが分かると、彼への接し方が変化していった。

当初は隠れるように避けていたのが、彼本人を前に『あーあ、シラケる。他所へ行こうぜ』という態度になった。たぶん無意識的に『俺達に本気で嫌われたら、困るのはMキン』ということを感じ取り、精神的優位に立ったのだと思う。
その後、立場は逆転。弱気になったMキンが「あれ?他所のゲーセン行くの?」などと話しかけてきても、冷たく「もう金が無いから帰るんだよ」と、過剰に“嫌いだから寄るな”オーラをぶつけた。これまで散々嫌な思いをさせられたウップンが爆発した格好だ。
温厚と評判(?)だった僕が、自然と邪険にあしらった事に自分で驚いたりした。

もう「どこかへ引っ越せ」と思う自分はいなくなり、Mキンの「イッキ」も聞かなくなった。

修学旅行にて

小学6年の修学旅行、行き先は大雪山連峰の温泉場。一泊二日だった。
小さいながらゲームコーナーがあり、クラッシュローラーなどの少々古めのラインナップだったが、教師の目の前で堂々とゲームをプレイできる解放感に興奮を覚え楽しんだ。そこにはMキンの姿もあったが、なぜだか大人しかった。

食事がどうだったかなんて事は、まったく記憶が無い。
夜は夜で「お化けが出た」と女子が廊下で泣いていたりしたが、どうでもいいので割愛。

そして翌朝。集合時間にはまだ間があったが、部屋を出て集合場所のロビーに向かった。
ロビーには1台だけテーブル筐体が置かれていて、それは大好きなディグダグだった。まだ多少時間があったので、そばに居た担任教師にプレイの許可を求めると、意外なことに号令までを条件にOKが出た。僕はすぐさまコインを投入。自分だけがゲームを遊んでいる状況に、子供特有の優越感を感じていた。(いま思い出すと、なんて馬鹿っぽいと思う)
そして、ギャラリーするクラスメイトに囲まれ、ノリノリでプレイしていた僕の耳に、あのフレーズが飛び込んできた。

「イッキ!イッキ!」「イッキ!イッキ!」

そうMキンだった。
僕の横で、エサを待ちきれない子犬のようなテンションで、交代をせがんでいる。
すっかり懲りて、もう封印したと思っていた彼の十八番が、ここで飛び出したのだ。

僕は気分よく遊んでいただけに、彼に対し過去最大級にムカついた。周囲も僕に同調し、場は一瞬でシラケた空気に。はしゃいでいた彼もさすがに空気を察し、そしてバツが悪そうに誤魔化した…。

「イッキ、イッキ…百姓一揆………」

自信無さ気に、こちらの反応をうかがう…。その一瞬の沈黙が、そこにいた皆のツボを突き、ドッとウケた(笑)

人の印象は何がきっかけで変化するかわからない。その後、Mキンとはゲームセンターで仲良く遊ぶようになり、高校生になると何度か僕の家に遊びに来たこともあった。

思い返せば、小学生の彼はいつも一人だった。勝手に『あまり裕福な環境ではなく、ゲームで遊ぶお金がないから、タカリのような真似を繰り返して嫌われていた』と思っていた。けど、単に不器用で、友達の作り方がへたくそで、それで「イッキ、イッキ」と一緒に遊ぶアプローチを繰り返したんじゃないかとも思う。そういえば、自分より年下には、やっていないかも?…まぁ違うかもしれないが。

幼馴染の友人Sは、Mキンの事も良く知り、修学旅行でもディグダグの現場に居合わせた友人だ。Sとは今も仲良くゲームの話をする仲なのだが、年に一度は必ず口にして笑いあう。

イッキ!イッキ!百姓一揆!

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