お金拾いとコインスナック

「コケちゃーん、お金拾い行こー」

玄関から私を呼ぶ大きな声がする。大声の主は友人『N』です。当時小学校5年生で同級生のNは、よくこのフレーズで私を誘いに来ました。遊びの誘いとしては全く適当ではないこのフレーズに、母は少々困ったような顔をし、8つ歳の離れた兄はシニカルな表情で私を見ていました。そして私といえば家族の機微など意にも介さず、5段変速の愛車にまたがり、Nと共に街の歓楽街へと急ぐのです。

お金拾い

この言葉にあなたはどんな印象を持ちましたか?地面を注意深く見ながら、当てもなくなくさまよう感じでしょうか。小学生の口からこの言葉を聞かされた母や兄が、なぜあのような不安に満ちた表情をしたのか、今なら理解できます。
また普通に考えれば、お金は当たり前に落ちているものではないし、計画的に拾えるものでもありません。栗拾いもゴミ拾いも、そこに在ることが前提です。
お金が落ちているのが分かっている。拾われずにそこに在る。そんな事があり得るのでしょうか…?
それがあるのです。当時の感覚で言うと『お金の農場』が歓楽街に存在しました。

そこは雑居ビルの外。建物に埋め込まれる形でジュース・タバコの自販機が6台ほど並んだ場所がありました。僕とNは周囲に人が居ないのを確認すると、自販機と自販機の間の20cmほどの隙間(ゴミ箱が設置)から自販機の裏側に侵入。外からは全く見えない場所です。そして完全に身を隠した状態で自販機と地面の隙間をゆっくりと探るのです。

自販機と地面の隙間…あなたはこの空間に小銭を飲み込まれた経験はないでしょうか。回収不能の圧倒的絶望は日常に潜むデッドゾーン。私は中年になるまで、この時空の裂け目に、幾度も小銭を飲み込まれてきました。
子供であれば、地べたに這いつくばる事になんの躊躇もありません(あくまで自分で落とした前提)。しかしそれができるのはせいぜい中学生、頑張って高校生です。大人ともなれば、少し屈んで見当たらなければそれで諦めますね。みっともないから。
そしてここは歓楽街。酔っ払った大人は皆『社長さん』。社長さんは威厳があるので、なおさらです。たとえ落とした小銭が100円玉だとしても、屈むこともしないでしょう。なのでここのタバコ自販機の下には、沢山の小銭が溜まっていました。次の飲み屋に向かう幾人の社長さんがポロリと落として行くのでしょうね。酔っているから。しかし誰もそれを拾えないのでしょう。人目があるから。

さあ、小銭の回収(収穫)です。
前回の収穫から1カ月以上空けています。ライバルは存在しないので、こまめに収穫する必要はありません。じっくりと作物が生るのを待ちます。我慢するほど回収額と満足感が違うので。1~2カ月空けることで200円程度、最高額はなんと860円をマーク。当時の小5にはなかなかの臨時収入です。
さらに近くにある第2農場(成人男性向け雑誌の自販機)もまた素晴しいポテンシャルで、拾えれば100円単位という破壊力を持っていました。

私たちはこの畑と収入を守るべく、二人で決めた約束がありました。『収穫は月に1度』『絶対に一人で収穫しない』『平等に分ける』『他の人には絶対に秘密』。もし、これを破ると友情に亀裂の入る事は間違いないので、私はこれを守りました。(一人でここに潜る度胸も無かった)

さて、収穫が終われば最大の目的、コインスナックへGOです!

 

コインスナック

80年代にはありふれた施設ですが、ここ20年ほど見たことも無ければ、耳にした記憶もありません。当時、親の車で遠出したときには、町の外れでよく目にしたものです。私がよく遊んでいたコインスナックは街中の4階建てのビルの1階にありました。
中は薄暗くいつも閑散としており、20台ほどのテーブル型のゲーム機、投影式のクレー射撃ゲーム、数台のピンボールがあります。そしてカップヌードル、ハンバーガーやホットドッグ、サンドイッチ、うどんの自販機がありましたが、誰かがそれを食べているところは殆んど見たことがありませんでした。

テーブル筐体の上には灰皿が置かれ、デパートのゲームコーナーとはかなり趣が異なります。子供だけで遊びに来られるようなポップな雰囲気はありませんし、デパートのように50円で遊べるゲームもありません。「貧乏人は来るな」と言わんばかりの1プレイオール100円です(被害妄想)。しかし例外的に10円で遊べる『ハイスピードインベーダー』なるゲームがあったのです。

ゲームは名の通りハイスピードなインベーダーです。このゲームなぜかショットボタンで弾を打つとインベーダーの動きが止まる不思議なゲームでした。
…なぜこのようなゲームデザインなのか意味が分かりません。普通は敵の動きに合わせて弾を打ちますが、このゲームはその瞬間敵が止まるので、敵の正面で打たなければ、絶対に当たらないのです。しかし『敵の動きに合わせて弾を打つ』という基本が手に頭に染み着いているから、無意識にプレイすると発射した弾が狙ったインベーダーの横を通過してしまうのです。
インベーダーが動くと「キュ」と効果音。ハイスピードなので常に「キュキュキュ…」と鳴っています。ところが弾を打つとインベーダーは動きを止めるので、「キュ」も止まります。弾が当たるか消えるまでシンと無音になるこの気持ち悪さはなんでしょう。『プログラムの素人の作りかけ感』がハンパありません。
インベーダーが少なくなると更にスピードが上がり、緊迫し真剣になるほどに無意識になるので、空振りの幅が大きくなる。真剣なのに大きく空振り…これはズッコケの神髄です。分かっちゃいるのにこのままならなさ。時が止まった中を無音で空を切る我が弾。シュールすぎる光景に友人Nと爆笑を禁じえません。大盛り上がりです。

拾ったあぶく銭で駄菓子を買い、100円のゲームを吟味し、余った10円玉でハイスピードインベーダーをプレイする…。やっていることは本当にろくでもないが、コインスナックの薄暗い店内とタバコの匂いと共に、Nと爆笑した思い出が蘇ります。

 

再会。そして

そんな少年時代をすごした私も、すっかり中年です。
正月に実家で兄弟が集まり、子供の頃の話になると、友人Nのお金拾いの話題になったりします。いや、本当に笑えますよね。子供が「お金拾いに行こう」って。貧しい感じと馬鹿っぽい感じの微妙なバランス。私の実家でいまだに語り草になっていることは、Nにはとても言えないが、家族皆で笑顔になれるエピソードを作ってくれたことに感謝せずにはいられません。

中学で別の学校になり、高校生の時に会ったのを最後にすっかり疎遠になってしまったN。30代後半のある時に「コケちゃん、俺分かる?」と突然目の前に現れた時は驚いた。私は「もちろん、当たり前だよ!」と、生まれて初めて自然と握手する手が伸びる経験をした。本当に嬉しい再会でした。

 

しかし、これを書いていて、もう一つ思い出しましたよ。
一度、Nがあの自販機の隙間から出てきたのを目撃した事を・・・・

当時は悲しく、自分の中で見なかった事にしたんですよね

 

あの野郎

 

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