マイコンの思い出(1)

こんにちは、こんばんは、コケガエルです。
今回は『マイコン』について、思い出すままに書いてみます。

今(2017)、マイコンと聞いてあなたは何を想像しますか?20代以下のお若い方は、PICマイコンやラズパイ(Raspberry Pi)などの組み込み型マイコンを指す言葉なのかな?
しかし、こんな記事を見つけた貴方はもういいオッサン(失礼)で、マイコンといえばPC-6001や8001、MZやX1、FM-7等を想像するのではないでしょうか。どちらにせよ、生活の中で耳にするワードではないことは確かです。なので不意にマイコンと聞くと胸がキュウウンとしてしまう私も、紛うことなくオッサンなのでしょう。

 

小学6年当時、私はシャープのMZ-700というマイコンを父親に買ってもらいました。マイコンを持っている同級生はあまりいませんでしたが、クラスに2人だけPC-8001とMZ-2000の所有者がおりました。それまで特に仲良くなくても『マイコンを持っている』という一事だけで、急速に仲良くなってしまうものです。MZ-2000を持つ彼にはあまり良い印象を持っていなかったのに、マイコンがきっかけで30年来の付き合いになりました。たぶん彼も私に好感は持っていなかった自覚と自信があります。そんな二人が友達になるなんて、マイコンて素敵ですね(笑)

この頃は、地理的・年齢的・金銭的に市販のゲームは滅多に買えませんから、プログラム雑誌を片手にポチポチと入力し、それをプレイして遊ぶのが基本的な楽しみ方です。人気雑誌は複数ありましたが、年齢的にも初心者向け(?)なマイコンBASICマガジン(電波新聞社/以下ベーマガ)が一番好きでした。


初めて打ち込んだゲームのタイトルは残念ながら忘れてしまいましたが、動いたそのゲームの画面と部屋の空気感は鮮明に覚えています。窓の外では雪が静かに降っていて、ストーブ上のヤカンは小さくカンカンと湯気を上げていました。快適な温度と湿度が保たれた茶の間で、新聞を広げる父を背に、口をぽかっと開けたまま真剣にプログラムを入力する自分を思い出します。
現在、私の次男が小学3年生なのですが、何かに集中すると同じく口が開いてしまいます。当時の自分を後ろで見ていた父の気持ちがちょっと分かりますね。たぶん同じく「そのアホ面はやめてほしい」と思ったに違いありません。ちなみに私の口が閉じるようになったのは中学1年の時でした。まだ暫くは息子のアホ面を見ることになりそうです。

 

やがて中学生になると、マイコンを持つ同級生が増えてきます。中1の時はFM-7、PC-8001mkII、PC-8801ユーザーと友達になりました。FM-7といば『5』『BREAK』キーが印象深いですね。画面がきれいで羨ましかった。
PC-8001mkIIはスペースマウスが忘れられません。他にもK.N氏(中村光一)が勝手移植したスクランブルやALIEN PART2、今風太氏のサブマリンや多数の名作ゲームを遊ばせて貰いました。ドットは粗いけどスピード感のあるアクションゲームは8001ならではという気がします。この時、8001mkIIはまだ発売されたばかりで、専用ソフトはまだ少なく8001用のゲームを多く遊んでいましたね。
PC-8801は…繊細で美しい画面でしたが、その美しい画面でゲームを動かすには性能が追い付かない感じで全体的にスローなゲームが多かったような…。アクション大好きな私には8001の方が好きでしたね。その後ホビー向けとして絶大な人気の8801mkIISRシリーズと進化してゆきますが、当時はビジネス寄りのマイコンでした。
この頃はまだ、マイコンブームと言えるほどの盛り上がりは、私の周囲に限ってはまだ感じる事は無かったですね。マイコン雑誌で未だ見ぬ素敵マシンに思いを馳せる毎日です。

 

中2になると、急速にユーザーが拡大していきます。MSX、ベーシックマスターJr.、パソピア7、PC-6601mkII、PC-8801mkII、MZ-1500、X1等。この時は個人的にはMZ-1500とX1が特に気になっていました。PCG(文字をドット絵に描き替えられる機能)のおかげで、ベーマガの表紙で目を引くゲーム画面は、この2機種が多かったからです(個人的にね)。
MZ-700にサウンドとPCG機能を拡張したのがMZ-1500です。グラフィック機能のないMZ-700ユーザーの私からすると、MZ-1500は羨ましいやら憎らしいやら(笑)。出来の良い弟機に激しい嫉妬を覚え、まるでジャギのような心境で、MZ-1500を敵視しておりました。黒くなった本体がまたカッコいいんスよ。ちきしょー。
しかし、私を嫉妬させた6重和音・グラフィック機能・QDドライブ搭載のMZ-1500もまたエントリー機ゆえの弱点があり、ユーザーは少々の劣等感を抱いていたようです。人気機種の多くが640×200ドット・1行80文字の解像度を持つ中で、MZ-1500は320×200・1行40文字表示でした。その繊細さを欠いたどんくさい(失礼)画面にMZ-700の面影を見ます。やはり兄弟機ですね。同じく劣等感を持つ者同士、3人のMZ-1500ユーザーと友達になりました(けど彼らはMZ-700の私を一段も2段も下に見ていたんだろうなぁ…)

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さあ中3です。MB-S1、PC-8801mkIISR、X1turboユーザーの登場です。ギャー。もうやめてくれ。MZ-700とはもう別次元で、テレビベーダ―とファミコンほど違います。小学生の時にいち早くマイコンを手に入れ、有頂天になっていた私はもういません。そこには『マイコンを持っている』事実すら隠したい、感情を無くした悲しい瞳の少年がいるだけでした。

そんな私が次に愛機と選んだパートナーは…8bit最強と言われた(?)MZ-2500です。中学を卒業した春、発売されて間もないこいつを購入しました。

なぜMZでの屈辱をMZで取り返そうとするのか。完全に冷静さを欠いていますね。はは。
さらにオプションの辞書ROM、カラーパレットボード(4096色)を載せました。とりあえず性能には満足し心の穴は埋まりましたが、周囲がこの選択を『正解』と思っていなかった事は、私を見る眼差しが物語っていました。そんな私を支えてくれたのは、パレットボード対応のゼビウスだけでした(笑)。電波新聞社に感謝。

 

無難にPC-8801mkIISRにしていれば、沢山のソフトに囲まれて、穏やか&爽やかなマイコンライフを送れた…と正直思わないでもなかった。しかし長年の劣等感が、私から素直さを失わせ、マイナーなものを愛し、メジャーなものを斜めに見る変人に成長させたのだ。何か勘違いしたプライドでMZ-2500を選んだばかりに、ソフト不足に苦しみ、いびつな人格を更にこじらせ、いわゆるマイコン野郎になってしまいました。あの時の私のバカ。うーん殴りたい。
(まぁ後にPC-8801mkIIFRを手に入れるのですが、残念ながらこじれた人格は修正できませんでした。手遅れってやつですね。悔やまれます)

 

すみません。いろいろと後ろ向きな事を書き連ねてしまいましたが、今となってはMZ-700、2500全てが楽しかった事として思い出されます。高級機が羨ましいのも、低性能の自分のマシンで最大限に遊ぶことも、ソフト不足だからこそプログラム作りに熱中したことも。
MZ-700時代はHAL研究所のPCG-700も買いました。PCG対応のパックマン(電波新聞社)も買いました。PCGは単色でしたがドット打ちが楽しめましたし、パックマンの出来もすこぶる良い出来でした。小中学生時のマイコンライフに一片の悔い無しです!

いま笑顔でこの文章を書けている事を、親に、時代に、友達に感謝したい。
ありがとー。

 

あらら、着地点も見えないままダラダラと書いてしまいました。
取り留めがないので、マイコンの思い出はテーマを絞ってまた書きたいと思います。
この時代のマイコン話は尽きませんからね。

あ、MZ-2500を『8bit最強』と書きましたが、もちろんMB-S1もFM-77AVも最強ですよ。3機種とも大好きです。

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