MSXの思い出

こんにちは、こんばんは、コケガエルです。

風邪をひいたのか、体調が芳しくありません。
喉が痛いんですよねー‥もう2週間は続いています。‥‥もしかして風邪じゃないのかな?
もう1週間続くようなら病院へ行ってみようっと。

さて、今回はMSXについて想い出を語りたく、モニタの前に座っております。
けど僕って、発売当時はMSX持っていなかったんですよねー‥

入手したのは20代の半ばだったかな?その手にしたMSXは少々曰くがありまして‥それをふと思い出したので、そのエピソードも含めて、MSXの思い出話しをさせていただきます。

ちょっと長いかもですが、どうぞお付き合いくださいませ。

 

発売前夜

MSXが登場する以前、8ビットマイコンといえば国産のX1、FM-7、PCシリーズ、MZシリーズが主でしたでしょうかー。‥あ、もちろん他にもたくさんの名機がありましたよ?(汗)

当時のマイコン少年達は、プログラム雑誌を購入してはセッセと打ち込んで楽しんでいましたね。もちろん僕も例に漏れず、マイコンBASICマガジンなどの雑誌を楽しんでおりました。

プログラムの入力と改造を繰り返すうちに、徐々にプログラムを習得していくのですが、最大の功労者(?)はすがやみつる先生著『こんにちはマイコン』と言いきりましょう。
オツムの出来のよろしくない主人公『石野あらし(ゲームセンターあらし)』がゲームを遊びたい一心で、ベーシック言語を学んでゆく学習漫画です。

あらしの親友の天才『大文字さとる』君が、おバカなあらしに合わせて手取足取り、それはもう親切に教えてくれます。あらしに限りなく近い僕にも、無理なく理解できました。

読者がつまずきそうなポイントは、あらし君が真っ先に失敗し、そこをさとる君が優しく正解へ導くのが基本のスタイル。これによって、読者はつまずくストレスを感じる暇もなく、あらしを下に見ながら(?)楽しく学習できました。ううむ、良く出来ています。

現在IT業界で活躍している人で『こんにちはマイコン』がきっかけになった人は少なくないそうです。ああ、なぜ僕はIT業界にいないのでしょうかー?

 

MSXが世に出る以前のある日、地元の書店ですがやみつる先生が描く『MSXとは何か』を解説する漫画が目に留まりました(タイトルは覚えていません^^;)。

それが漫画雑誌で見たのか、それともマイコン専門誌で見たのか、今ひとつハッキリ覚えていないのですが、内容は「これからMSXという規格が統一されたマイコンが発売される」「沢山のメーカーから発売されるどのMSXでも、同じプログラムが動作する」「共通の規格によってコンピュータが更に便利に進化する」というような内容でした(記憶では)。

それまでマイコンなんて、各社好き勝手でしたからね。マイクロソフト系のベーシックが殆んどでしたが、マイコンが変われば同じプログラムが動かないのは当たり前でした。
それが何ということでしょう。MSXでさえあれば、どこの会社のマシンでも一緒って…革新的にも程があります。沢山のメーカーがこの規格を採用したら、シェアの拡大により対応ソフトが爆発的に増えるのは容易に想像できます。…すげぇ。

少年だった僕は「どえらいことになってきた」とワクワクが止まりませんでした。何よりも『こんにちはマイコン』のすがやみつる先生がプッシュしているのですから太鼓判(?)です。
(今思えば、アスキーに依頼されたPR漫画だったのかもしれません。とにかくMSXに期待させる内容でした。いや、実際のところは分かりませんけどね^^;)

漫画の最後のページは、背景が大海原の一枚絵で、空に浮かんだMSXに雲の切れ間から光が差していました。完全に「新たなる時代の幕開け」を感じさせる表現でしたし、僕は見事にそんな気にさせられました。(さすが先生!)

MSXに期待し、ワクワクが止まらない僕でしたが・・・さて

 

発売

1983年10月、最初のMSXが発売されました。三菱の『ML-8000』(だと思います)
しかし現在の様に、その様子をネットで見る事もできませんし、メディアも熱心に伝える事もなかったような?‥とにかく、熱狂をもって迎えられたという実感は、北海道の田舎町では感じる事はできませんでした。(もちろん、雑誌等のコンピュータ界隈は騒がしかったです)

それは、発売のタイミングとMSXの価格にも理由があったと思います。

まず、タイミング。同じ年の7月に、任天堂の『ファミリーコンピュータ』が発売されております。(ノ∀`)アチャー

「発売後1年間は大きな動きの無かったファミコンは、MSXとはバッティングしていなかった」という意見もあるようですが、ゲームで遊びたいだけの子供には、ファミコンと同じく『カートリッジの刺さるゲーム機』としては、大いに比較されるものでした。

そして、価格。ファミコンが14,800円なのに対し、標準的なMSXは5万円前後。
ファミコンより後発なのに、表現力はかなり下。にも拘わらず価格はファミコンの数倍‥‥
誰がこのキーボード付きのゲーム機(?)を愛せるでしょうかー…?

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実際、自分の周囲に限っていえば、直ぐに手を出す者は殆どおらず、正直イマイチな立ち上がりだったと言わざるを得ません。ほどなく同級生が購入したという噂を耳にしましたが、「なんで?w」という感想しか出ませんでした。

中学生だった僕には、何をどう間違ったらMSXを買おうと思えるのか理解できませんでしたが(失礼)、自力でその理由にたどり着きました。
そうゲーム機ではなく『格安パソコン』という存在意義です。

‥って、最初からパソコンだろうが(笑)。子供だった僕が、勝手にゲーム機としか見ていなかっただけで‥。だってしょうがないです。当時はスプライトを持ったm5やSC-3000等のパソコンは「ゲームパソコン」と呼ばれ、ゲーム機寄りに見られていたので。
そしてこれらは、あまり人気が無く売れていませんでした^^;

当時人気を集めたパソコンは大抵10万円以上、高級機は20万オーバーの世界ですからねー。田舎では高価なパソコンを展示している店など、ほとんどありませんでした。

しかしMSXは大手家電メーカー(パナソニック・ソニー・三菱・東芝・サンヨー・他)が軒並み参入していましたから、各系列の小さな電気店でもデモ機が展示されていました。
MSXが初めて田舎にパソコンという存在を知らしめたと言っても過言ではありません。

しかし、その事が次のような不幸を生んでしまうのです・・・

 

子「ねー、父さーん、パソコン買うて~」 ※欲求
父「じゃ今度のテストで90点取ったらな」 無理難題

子「父さん!やったゼ!95点だ」 達成
父「な、なにィ!?」 想定外

(電気店にて)
父「安くて人気のパソコンってある?」 超不安
店「それならこちらの商品で間違いございません」 在庫潤沢
父「安い!キーボードもついてるし文句ねーだろw」 大勝利
「わっはっは」 握手

父「パソコン買うてきたで~」 上機嫌
子「ぎゃふん」 ぎゃふん

 

たぶんこのような展開が、全国で繰り広げられていたのだと思います。 ※個人の想像です

 

体験会

今一つの印象のMSXでしたが、発売から数か月後、我が町の某クレジット系企業の持ちビルでMSXの体験会が開催されました。
憶測なのですが、地元の電気屋がMSXの在庫をどうにかしようと、提携クレジット会社に相談しての事だったと思います。(田舎だとあるんです。こういう事が)
どういう経緯でそこに参加したかは覚えていないのですが、僕はその会場におりました。

会場の様子は、小会議室といった感じの大きさの部屋にホワイトボード、よくある長テーブルを手前・奥に2つ並べて、奥にテレビ、手前にMSX本体。一組のテーブルに2台、それが8セット(計16台)程だったと思います。

僕は近所の幼馴染と参加。僕ら以外は家族での参加が大半だった気がします。
ほどなく講師が登場し、挨拶もソコソコに体験会が始まりました。

 

記憶がおぼろ気ですが、前半は講師の方が「MSXを買うとこんな事ができる・ゲーム機とは違います」的な事を説明。少々大げさな感じに違和感を覚えましたが、そこはMSXを売らんが為です。僕は協力的に頷き感心する素振りをしていました。できた子供ですね。

10~20分のセールストーク講習が終わると、簡単なプログラミング講座が始まりました。
配られたプリントには、短いプラグラムがいくつか載っています。参加者各々がそれを打ち込み、実行結果を見ながらちょっと改造したりと‥そんな感じだったと思います。

短く簡単なプログラムですから、どれもたわいもないものばかりです。それでも初めて目で見て・触れるコンピューター様が、自分が命令(入力)した通りに実行してくれるというのは嬉しいものです。
無意識に「コンピュータより自分の方がエライ」と感じるのかもしれませんね。ペットでも子供でも生徒でも部下でも、ちゃんと言う事を聞いてくれるのは嬉しいものですから。
大人も子供もニコニコと満足そうに、プログラム入力を楽しんでいました。

うん。プログラムは楽しい。

 

1時間ほどでプログラミングの講座は終了。
「頑張ればこんなプログラムも作れるかもしれない」そんな流れで、沢山のゲームソフトが会議テーブルの上に並べられました。子供たちが色めき立ちます。

さながら、漫画のバーゲンセール会場のように、子供たちはゲームソフトに殺到。講習前半の「ゲーム機とは違う」というのを真っ向から否定するかのような盛り上がりで、もう完全にゲーム機としか見えていません(笑)

しかし、それもMSXの良さでしたね。プログラムもできるし、ゲーム専用機レベルのゲームも手軽にROMカートリッジで遊べる。入門機にはうってつけでしょう。

講師の先生が言った「ゲーム機とは違う」の意味は、ゲームに浮かれつつも参加者全員に伝わっていたように思います。プログラムを体験したばかりですからね。ゲーム機は受動的で消費するタイプの娯楽ですが、パソコンは考え・生み出す能動的な楽しさがあります。

ま、この時はとにかく『ゲーム』でしたけどね。うおりゃ~~

 

ゲーム

参加者それぞれのテーブルに行きわたる数のソフトがあったはずなので、最低でも20本以上のソフトがありました。しかし覚えているのは「ピラミッドワープ」「ぶた丸パンツ」「わんぱくアスレチック」「スーパースネーク」「3Dゴルフシミュレーション」など。あとは麻雀やトランプゲームもあったかな?

ハードウェアでスクロール機能を持たないMSXでは、初期は固定画面のゲームが多かった気がします。スプライトも単色のモノが多く、それはそれはファミコンに見劣りしました。

ギラギラと滲んだ独特の画面。しょぼい色彩。固定画面の単純なアクション。
当時の僕はハナで笑っておりましたが、ちょっと興味をひかれたのが「ぶた丸パンツ」です。気が付けば前半の講師も巻き込む大盛り上がりでした。楽しー!

表現力の問題で、当時はシュールな世界観のゲーム多いですが、どうですかこれ?割れた卵の殻を回収するパックマンのようなキャラは「ちりとりオジサン」ってネーミングなんですよ?並みのセンスじゃないです(笑)
けど、アクションゲームとして良くできています。完成度高し!この頃のゲームはスコア競争が熱くて楽しいですよね~^^(‥ううむ、欲しいなぁROMカセット)

開発はHAL研究所。後にバルーンファイトを作ったり、任天堂の社長になる故・岩田聡さんが在籍していた会社です。さらにカービィカービィ、スマブラの桜井政博さんもHAL研ですね。
僕はMZ-700ユーザーで、PCG-700という製品でHAL研究所は馴染みの存在でした。

『ぶた丸パンツ』で見直したというわけではありませんが、体験会に参加する前より、MSXに対する印象はかなりプラスになりましたねー。
おもちゃ感は相変わらずでしたが、単色でもやはりスプライト機能があるのは素晴らしいです。高価な国産8ビットパソコンにも真似のできない機能ですからね。

特に僕はMZ-700というグラフィック機能を持たない最下層のパソコン(※そんなことはありません)ユーザーでしたから、グラフィックに関してショボいことは笑えませんでした。弱点を突かれる辛さは身に染みていたので、親近感が生まれたのかもしれません(笑)

ゲーム大会が終わり、体験会も終了。
参加前には想像できませんでしたが、ちょっとMSXを下に見ていた僕でも「欲しいなー」と思ったので、体験会は成功でしょう。

僕は売り上げに貢献することはできなかったけど、何台かはその場で売れたようでした^^

 

S井

友人のS井は、小学生の時から中年になった今も続くゲーム仲間です。ともにゲームセンターで教師の見回りと同級生のチクリに怯えながらワープ&ワープを遊んだり、ダイヤルアップでディアブロを遊んだりした仲です。

そのS井が、中1の時にMSXを買ったのでよく遊びに行きました。

想い出のゲームは「ギャラガ」「スカイジャガー」「ボコスカウォーズ」「レリクス」「イーラルカンフー」「魔城伝説」「ガリウスの迷宮」「ムーンパトロール」、他にもたくさん持っていましたが、思い出深いのはこのへんかな?
中でも「ボコスカウォーズ」は本当に面白く、何度も遊ばせてもらいました。

そしてS井も、BASICプログラムで遊んでいたので、その辺でも気が合いました。
彼の作った1画面RPGの敵キャラのドットを打ったり、戦闘開始ジングルを僕が作ったりしたのが思い出深いです。(まあ、そのRPGは完成しなかったし、ジングルはザナドゥのパクリだったのですが)

相変わらず(?)グラフィックは貧弱でしたが、何だかんだ良いパソコンでしたね。
しかしある日、MSXが弱点を克服する日がやってきます。
そう。MSX2の発売です。

1985年6月に発売されたMSX2は表現力が格段にアップ。ファミコンに引けを取らない画面表示が可能になりました!(256色表示&ハードウェア縦スクロール)

すごい!欲しィ!……が、高い!高価すぎました。

表現力が豊かになった代償として、当時の8ビットパソコンとしては、かなり大きなメモリを積む必要に迫られ、高価なものとなってしまいました。
キーボード一体型で大体10万、セパレート型で15万ほどです(‥‥88FR買うよなぁ^^;)
なので、ハッキリ言って売れませんでした。状況が変わったのは翌年の秋、Panasonicの『FS-A1』(以下A1)とSONYの『HB-F1』の登場で一変します。

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それまで10万円前後だったMSX2が、それぞれ29,800円と32,800円で発売されたのだから小中学生にはたまりません。
S井もしきりに「欲しい~」と言っていましたが、安くなったとはいえ、そう簡単に買えるはずもありません…。

 

交換

ある日、近所の知り合いのチビ(多分小4くらい)に会って話をしていると、なんとA1を買ってもらったという。「マジで!?」遊びに行くとA1とMSX1用のソフトが1本だけ。それがまた面白くないゲームで、全く遊んでいないという…勿体ない。

ろくに使わずホコリをかぶった状態で、親にすると「せっかく買ったのに」という双方が不満な状態。書籍もデータレコーダーも何もないので、プログラムを勉強しようにも「どうすりゃいいさ?」という状況でした。
追加で何かを買ってもらえる事は100%無いらしく、親の中では「買って損した」と、既に終わっている雰囲気なんだそう。

むむー、喉から手がでるほど欲しがっている人間もいるというのに…………。

…………そうだ!

僕「ゲームで遊びたいんでしょ?MSX1+ゲーム10コとMSX2を交換したい?」
チビ「え?ホント!?交換したい!」
僕「ええっっっっ!?」

思い付きで言ってはみましたが、簡単に提案に乗って来たので戸惑いました。

僕「本当に?じゃあ、交換する友達にも確認するから、1週間考えて」

そう言って帰宅し、翌日学校でS井にもその交換話を伝える。
もちろん願っても無い話に大喜びで、小躍りしそうな勢いだった。
「チビの心変わりと親との問題もあるから、あまり期待しないように」と言うも、S井はノリノリ。さて、チビの方はどうだろうか…。

一週間後。チビに最後の確認をします。

僕「どう?交換する?MSXはこれから2がメインになるよ?後から『交換して失敗した』って後悔しない?」

チビ「このまま2を持っていても、どうせゲームは買ってもらえないから、1のゲームでも沢山遊べた方が嬉しい」

僕「知らない間に違うMSX、しかも古いのに変わっていたら、お母さん怒らない?せっかく買ってくれたんだよ?」

チビ「多分まったく気がつかないと思う」

僕「交換したら、友達も2専用のゲームとか買っちゃうから、後からやっぱり返してってできないよ?」

チビ「それは大丈夫。絶対に言わない」

‥ーこんな感じのやり取りを何度も繰り返しました。

けど何度確認をくり返しても、詐欺師が念押しして言質をとっているようで、モヤモヤするばかり。圧倒的にこっちの有利な条件を年下の小学生相手に交渉している卑怯さに自分が情けなくなります。

自分の物と交換するならば、良心の呵責に耐えられずに、この場で無かった話にしていた気がします。けど、自分が言い出した交換話で『双方乗り気という現状』に、もう引き返せない状況です。気が重いながらも交換することになりました。‥うう。

後日、S井から受け取ったMSX1をチビの家に届けてA1と交換。A1をS井に渡しました。
双方大喜びでしたが、僕だけが「チビの親から電話がくるんじゃないか?」と、暫くモヤモヤとした気分で過ごしていました‥‥。まあ自業自得ですね。

ただ「要らない世話は焼くもんじゃない」と、非常に良い勉強にはなりました。
チビとはこれっきり会っていません…近所なのに‥。

 

再会

交換後、S井はバンド(ギター)を始め、僕は他所の学校の友達とゲーセンや喫茶店をウロつくようになり、S井の家に遊びに行くことは全くなくなりました。

次に遊びに行ったのは高校生になってからなので、3年ほど空いたでしょうか。目的は浜田省吾のLPをカセットテープに録音してもらう為で、ゲームの為ではありませんでした。
部屋に入ると、あの時の『FS-A1』。外付けのフロッピーディスクドライブや沢山の2専用のゲームもありました。
懐かしいと言うほどの空白ではありませんが、無意識に思い出すことを避けていたA1が目の前にある‥。交換の時の胸がモヤっとした気持が蘇りましたが、それは僕個人の問題なので、もちろん顔には出しません。

しばらく遊びに行かなかった間に購入したソフトを一通り見せてもらいましたが、中でもコナミの『ウシャス』と『グラディウス2』はモヤっとした気分を忘れるほど面白かった。特にサウンドが素晴らしかったですねー。(ウシャスはノーマル音源なのに、グラディウス2のSCC音源に負けず劣らずの素晴らしさでした)

そして、S井の実家の部屋にあがったのは、この日が最後でした。
S井は相変わらずバンドで忙しかったので、高校在学中はこれっきり。卒業後はS井は東京の製菓製パンの専門学校へ、僕は札幌へ行きました。

2年後専門学校を卒業すると、僕はそのまま札幌で就職。その後S井がパン店に就職(修行)するため札幌にやってきました。(彼は実家がパン屋さんなのです)
高校を卒業してから全く連絡を取り合うことは無かったのですが、先月会って遊んでいたかのように、自然に遊べましたねー。幼稚園からの付き合いですから。

昔のようにゲーセンに行ったり、メガドライブで遊んだり、酒を飲んだり、パチンコに行ったり、ビリヤードをしたり。冬は毎週のようにスノーボードに行きました。楽しかったなー‥。

その後、S井は実家で働くために帰郷。札幌を離れる準備をします。

その時でした。前触れもなく「もう遊ばないし、荷物になるからコレ要らない?」と段ボールをもってきました。

 

(なんだろう?)
箱を開けるとそこには
あの『FS-A1』と沢山のソフトが‥‥。

そしてこの気持ちは3度目です。

 

モヤっ